夢向側の音色

誰にも媚びずただ感じたままに書きますよ

文章にはその人の気持ちや思いやその人自身が持つエネルギーのようなものが投入される

 こんにちは、Akiです。

 ブログ、続いていますよ。

 今日は朝から両親に付き添ってお墓まいりに行ってきました。久しぶりに母親の作った煮物と赤飯を食べてとても満足です。

 

 さて今日は何を書きましょうか。

 

 ここ何日かおなじようにはてなブログを書いている方々をつまみ見しては星をつけたり、勝手に読者にさせていただいたりしてます。Twitter風に言えば無言フォロースマソです。そこで新しい発見というか気づきがあったのでその話を少しします。

 

 「文章にはその人の気持ちや思いやその人自身が持つエネルギーのようなものが投入される」ということです。

 私は少しだけテレパシーというかサイコメトリーのような感覚が開いているのですが、文章とか文字から伝わるというエネルギーというものにあまり意識を向けたことがありませんでした。しかし、最近同じようにブログを書いている方、特に自分自身と向き合って自分の言葉で書いている文章についてとても感じるものがあります。うまく言えないのですが感覚的には「書いているその人の気持ちと同じ気持ちになる」です。それは文字面から論理的に意味がわかる、という次元ではなく「あ、これはこの人が持っている思いや気持ちを私が見て感じて肌触りを確認してそれを体験している」という感覚です。その人の気持ちと同化しているよりも、もう少しはっきりと感じて触っているという感覚です。

 

 しかし中にはさっぱり感じられない文章もあります。違いは明確で、エネルギーを感じることができる文章は文字通りなのですが「自分の気持ちを込めて」書いている。そんな文章には余計な飾りがなくただ自分に正直に自分の内面と対峙しながら書いている。そして内容とか言い回しとか関係なく不思議と読みやすい。書いている内容はまったく関係無いのかもしれない。

 

 

 だから私もそんな人たちに敬意を持ちつつ、自分の言葉で誰にも媚びずに書く。人に認められたいのでもなく特定の誰のためでもなく、しかし誰かのために。同じ時代に生まれ、生きて、そんで死んでいきますね。そんな同じ空気を感じあえて、楽しいですね。

 

 また書きますよ。では良いお盆を。