夢向側の音色

誰にも媚びずただ感じたままに書きますよ

言葉が持つ不鮮明さと限界

 こんにちは、Akiです。

 このブログはたしか1ヶ月ほど前に作ったのですが、それから今日まで、なーんとなく書くという気持ちが起こらずに放置していました。そういうこともあるのか、いざ書きはじめてみると思いのほか書きたい事がたくさんあったりするみたいです。

 

 ということで書きたい時は書いていきます。

 

 自己紹介の記事を読んでいただいた人の大半が違和感を抱いた箇所があると思います。

 そうです、「霊的な目覚めを経験した」という箇所です。

 

 私が以前書いていたブログをやめた表面的な理由は「周りの目を気にして書く事に嫌気がさした」ですが、実はもっと根深く感じていたことがありました。

 それは「言葉が持つ不鮮明さと限界」です。

 言葉というのは人が持つ思念を他者に伝えるための媒体であってその思念本体ではないため当然表現形態に限界があります。大きな物を小さな入れ物に入れるようなことなのかもしれない。それともう一つ、言葉にはみんなが既に心の中に持っているイメージや感情などが付着しているということです。

 たとえば私が「霊的な目覚めを経験した」という文章を書いた時、私なりには数限りあるこの世に存在する言葉を精一杯繋いで組み立てた表現ですが、それと同時に「霊的な目覚め」という言葉が持つ世間的な怪しいイメージ、常識的ではないイメージが付随していることも知っています。特に日本は共感圧力が強い国で、真実や正論を述べると排他的な扱いを受けてしまう傾向があることからもわかる通り、どうしても最大公約数的、八方美人的な振る舞いをしないと周囲との調和がとれない。

 話が逸れましたが、つまり私は「霊的」という言葉が持つ世間的な誤解や嫌なイメージに対峙したくなかったということです。

 

 しかし私にとってブログを書くという行為は、そういった自分の中にある拘りや周囲の目を気にするということから離れるプロセスそのものであることから、今後は、たとえいかなる誹謗中傷を受けようとも、たとえ後ろ指をさされようとも自分なりに真実だと感じている事から目を逸らさずに表現するということを肝に銘じていきたいと思います。